・神様はじめました◎:第2話『神様、出雲へいく』
クッソ面倒くさい巴衛は置き去りにして、奈々生さんは神在月の出雲へ向かうのでありましたという回。
『人間神様が出雲行って、ヘンテコ神様のキッツイ洗礼』いうと、どうしてもかみちゅ! 思い出すね。(おっさんの寝言)
こっちはバリッバリの少女漫画なので、恋の鞘当て成分多めだけどさ。

一話がやや駆け足気味だったので、今回はペースを落として進める感じ。
とは言うものの、テンション高めなクイック投球術なのは変わらずで、見てて気持ちが良い。
何時も自然体な奈々生の魅力といい、強い所わかってるのは強い。
三森さんのキャラの中でも、一等好きだなぁ奈々生。

奈々美はノラガミ退治したり、先輩ゴッドにイビられたりして成長を見せてたが、巴衛は面倒くさかった。
まー頼れるイケメンが側にいると、奈々美もゴッド経験値稼げないしね。
可愛いだけではなく、チマチマと成長してく様がいいのよね、奈々生さん。

これから因縁生まれそうな諏訪部やら、一瞬出ただけで全てを持っていくKURAMAやら、賑やかしも多くて楽しい回でした。
登場してすぐさま退場したのに、なぜかとても楽しい気持ちになる辺り、成功してるキャラだな天狗は
来週は黄泉下りの試練があるみたいですが、奈々生のピンチにイケメンインタラプトはあるのかないのか。
乙女回路アイドリングさせつつ、楽しく待ちたいと思います。
あ、戦神さんは来週辺りで凄い勢いでデレそうなオーラムンムンで楽しみですね。

 

・アイカツ!:第116話『大空JUMP!!』
久しぶりのアイカツ!社会見学はお天気キャスター、あかりジェネレーションのいいとこ探し第一弾であります。
アイカツ!らしい細やかな取材と、トンチキな特訓、そして輝かしい成果が、みっしりと詰まった安定の仕上がり。
本当にアイカツ!で職業を扱うときは、基本的にハズレがない。

第1クールは各キャラクターの不足部分、『持っていない』部分を強調しながら進んできた三年目(『あかりジェネレーション』という呼称はとても良いと思います)ですが、第2クールに入り『持っている』部分を強化するフェイズに入った印象を受けました。
発想力や積極性、直感力など、強みが内面にあるあかりちゃんは、具体的な強さを見つけるまでじっくり時間をかけてました。
結局、今まで触っていそうで触っていなかったお天気キャスターに注目。
見事ステップアップの足がかりにしてましたが、そのお披露目ステージって必要なんですかね……まぁアイドルですしまずは芸見せてからですよねエエ……。
面接での物おじしない受け答えには、九ヶ月分の成長を強く感じました。

成長や変化という意味では今回スミレちゃんが新しい側面をたくさん見せていて、ようやくひなきちゃんと隣の席に座っている距離感の変化だったり、強力扇風機&消火栓を使った台風特訓を思いついたり、激しくハジけてきた。
最初期の二人の間合いにハラハラしてたオッサンとしては、隣の席で屈託なく笑い合う姿にむっちゃホッコリしており、ええ際限なくキモいことは強く自覚しております。
あと眠ってるシーンの作画が気合い入りすぎていて、『同室相手の寝顔を見て布団を直して、はじめてパートナーシップの端緒につける』アイカツ!世界のカルマを感じずには居られない。
いや、ひどい性的メタファーでしたね!
積極性という武器を新しく手に入れつつ、圧倒的美少女力というストロングポイントも強調してくるあたり、キャラ描写にスキがない。

彼女らの変化は常に周囲に助けられてのものであり、学校の先輩や同級生、既に経験を積んだ大人と、様々な層から支持を受けている描写がしっかりあるのはアイカツ!らしい強さ。
同級生にして先輩であるひなきちゃんが、テキパキと的確なアドバイスを出していたのが良かったですね。
彩香さんがくれたアドバイス『色んな人の立場を意識しながら』も、上手く一般的認識の隙間を狙うピンポイントな一言で、しっかりした取材を感じさせる。
こういう足場の強さは、アイカツ!の強さだなとつくづく感じます。
いちごちゃんが深夜の邂逅からアドバイスを上げているのを見ると、美月さんの位置を見事に奪いとったんだなぁと感慨深いです。
いい映画だった……(思い出し感動)


これであかりちゃんは毎日四時起きなわけですが、一年目のリブートなだけではない、三年目のオリジナルな強みとして、お天気キャスターはいいニッチを付いたなと感じました。
あおい姐さんのドラマ、蘭ちゃんのモデルのように、キャラの骨格になる強みとして、今後も育てていって欲しい要素です。
来週はいいとこ探し第二弾ということで、スミレちゃんと歌の話。
再来週はひなきちゃんかぁ……と思ってたら、ゲーム連動の新キャラ紹介らしいです。
まぁプレミアムドレス回もやや遅れでやって来たし、ひなきちゃんの強み掘り下げもゼッテーやるから、マジやるから。(血走りアイで興奮気味に)

 

・ユリ熊嵐:第2話『このみが尽きても許さない』
一話の疑問点が一部解消され、新たな疑問が増えていくマジック・フェミニズム的アニメーションの二話目。
ユリの領域がかなりの勢いでクマに侵食されていたり、正義を司る存在かと思ってた委員長が陰謀を覚えたクマだったり、紅羽さんを取り巻く世界は思いの外険しい。
一話で感じた緊張感は、そこまで理由のないものではなかったなという感想を抱きました。

今回一番クマショックだったのは、銀るるコンビがバッチリ食ってたっぽい所。
ファンシーな外見に惑わされてたわけですが、お葬式されちゃぐうの音も出ねぇ。
食われた純花が、回想や他者からのリフレインという形で生存した紅羽に墓所から影響を及ぼしている以上、生き死にの問題はやっぱメタファーとして捉えるべきだとは思うけど。
そういう意味で、死んだこのみを『死骸』と呼んでいたのは、ユリの領域におけるクマの扱いが見て取れる描写だったと思う。

姓にユリが付くのが『ユリの皮をかぶった熊』というルールが今回見て取れましたが、ユリーカ先生も熊なのかしらね。
とすれば、紅羽さんのお母さんの生き死にも、裏が一枚ありそうな感じ。
クマである以上食人(食ユリ?)の欲求は基本的に抑えられない感じなので、哀しみとともに食ったのかしら。
ていうか、あの世界のユリはどういう風に生殖するのかしらね。

疑問といえば、委員長はいつ純花の味を知ったのか。
三つ折りソックスが映ってたところを見るだに、銀るるが食ってたのは純花で間違いないと思うのだが、食い残しをハイエナしたのか。
それとも、クマの捕食には肉を食べる以外の意味合いがあるってことだろうか。
いやどう見ても暴力的なセックスの暗喩含んでんだけどさアレ。
作品内のルールとして、クマの捕食はどういうもんなのか、今後注目したいところです。


一つの映像に多重に意味をもたせた魔術的表現作品である以上、描写への疑問はじっくり見ながら、自分で納得するのがいいと思っています。
そういう意味では、今回勝手に納得した部分も多々あって、一つは紅羽の特殊性。
彼女はクマを憎む言動を繰り返し、実際に銃を持っているけど、それを的確に行使できていない。
"銃"にも色んな意味が付与されていると思うけど、暴力という意味合いで見れば、『透明な嵐』という顔のない暴力も、『クマの捕食』という個別の暴力も、紅羽と純花以外のキャラクターは的確に行使している。
そんな中徹頭徹尾"銃"が当たらない、もしくは"銃"を構えることすら思いつかない紅羽は、特権的に暴力の行使から隔離されているキャラクターなのかなと思いました。

クマから身を守るべく構えた銃はクマ排除の役には立たず、露骨に性的なアプローチをかけてきた委員長から身を守る最後の一線として、儚い障壁の仕事をしているだけです。
露骨なファルス主義的見方をするなら、あの銃は男根の解りやすいメタファー。
"それ"以外に委員長の邪悪な陰謀を拒む手立てがない、もしくは"それ"こそが邪悪な陰謀から乙女を守っているっていう絵面は、個人的に意味深だなと感じました。
紅い椿の花言葉は「謙虚な美徳」「控えめな素晴らしさ」「誇り」だそうですが、椿輝紅羽は激しさとは無縁の特性を持ってるのかなぁ。

とまれ、紅羽の銃弾が一番最初に誰を貫くかで、あの銃に何が込められているかが判る気がします。
……『LOVE BULLET→YURIKUMA ARASHI』なんだから、好きになった銀子を貫く愛の銃弾というのが一番素直なんだろうが、それはちょっと寂しい気もします。

手早く食われて死に、『対話可能なキャラクター』ではなく『再発見を繰り返される謎』になってしまった純花も、暴力から隔離される特権を有しているのか。
今見せられているように百合の花と花壇と紅羽を愛し、純粋さと無垢の象徴のような女の子のままなのか、それともそれをひっくり返す真実が墓所から暴かれるのか。
なかなか油断の出来ない所だなと思います。
ピングドラムの眞悧先生やプリクリ様、TV版の御影、劇場版の暁夫や冬芽などなど、イクニ作品は亡霊が元気よね。


暴力を男性的な属性とするのは、比較的一般的な観念だと思います。
実在の怪しいユリ裁判の面々以外男の外見をした存在が排除されているこの作品で、暴力はクマの属性とされている。
捕食という暴力、思い出や哀しみに接近しようとしない直線的な肉欲は、常に『ユリの皮をかぶった熊』が受け持っているわけです。
(『透明な嵐』という暴力はユリの専売特許なわけで、目に見えない陰湿な力の行使は『女々しい』行為なのか、透明な存在たる『スキを諦めた』ユリたちの内実が描かれないとなんとも言えないところです。)

ならば単純に『クマ=男』という図式、『ユリ=女』という絵が描けるかというと、そう簡単でもないかなと感じています。
この作品のクマは常に『ユリの皮をかぶった熊』だし、ユリも"銃"を使うことでクマに対抗し殺すことができるし、というか基本女の外見をした存在しかいないしで、『ユリ/クマ』と『女/男』は単純な照覧関係にはなく、境界線は揺れ動いている。
暴力を行使できないにしても紅羽はクマに殺意を持っているし、"銃"も所持している。
クマである銀子も、紅羽の"好き"が本物であるか否かを重要視する、非暴力的な視点を持っている。

ココらへんの揺れを担保するために、『ユリ/クマ』という区分を創造したのであれば、それは成功していると僕は感じます。
涙の味を分かろうとする銀子と、クマを憎みつつクマを殺せない紅羽が、近づいたり離れたり、食われそうになったり愛し合ったりする運動が、このアニメの根本的なエンジンだと現状思うわけです。
紅羽の家はユリの世界と断絶の壁、その分岐点に存在してるわけですし。

というか男性性/女性性で暴力という属性を区分するのではなく、暴力を人間の属性として見なおせつーことなのかもしれん。
そうなると暴力に抗う手段も保たず死んでしまった(と現状理解できる)純花は、非人間的な属性を持っているんだろうか。
判んねー事たくさんあって、なおかつ判りたいと思えるのは、幸せなことなんだと思う。


色んな要素、色んな意味、色んな意図が映像の中に練り込まれているアニメなので、此処でグダグダ考えてることもまたひっくり返ると思います。
それもこの作品を見る楽しみだと思うので、積極的に妄想を吐き出していこうと感じています。
自分はフェミニズムや魔術に興味がある人間なので、ユリ熊嵐をそういう視座で受け取っているけど、興味の領域が違う人は全く違う意味を、映像から受け取るのかなぁ。
そんなふうな作品の外側に、興味の矢印が向くアニメって、かなり豊かなんじゃないでしょうかと思うわけです。

 

・少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR 50-:第14話『永遠のど真ん中』
俺は三ヶ月このアニメを、心底待っていた。
アイドルアニメ戦国時代のど真ん中を、最高速で突っ走るピュアリアル男子アイドルストーリー、三ヶ月目の大復活。
一期13話を見守ったファンとしては「ありがとう」としか言えねぇ、2クール目の頭サビでございました。


アイドルアニメも数が増えてきて、作品ごとに色んな見せ方があると思います。
キャラクターの年齢的なこともあって、基本的には青春ガッツストーリーを軸に、どのくらいリアル/ファンタジーに寄せるのかとか、下積み期をどれだけ見せるのかとか、成果物であるステージの表現方法だとか、料理の仕方は当然ながらアニメごとに違う。
そこには製作者たちのアイドルやステージ、それを通して伝えられる夢、才能、成功や失敗への認識が、そのまま反映されていると思います。

少ハリは一期ほぼ全てを『客に出る前の準備段階』に回すという、非常に大胆な構成がベースにあります。
これは多分、製作者たち(特に橋口いくよ先生)がステージをすごく神聖なものとして捉えていて(セカンドシーズンの副題も『HOLLY STAGE』だし)、『生半な準備と覚悟では、客が銭を払いたくなる芸を板に乗せられない』という認識があるからだと思っています。
ただのボーヤ達がどうやって恥ずかしい自意識を克服し、客に顔を向けて人を喜ばせる存在になれるのか。
一期はそれを映し続けました。

少ハリの豊かさはステージの女神様と契約したプロフェッショナルアイドルとしての少年ハリウッドだけではなく、ステージを離れてくっだらない高校生してる彼らもまた、愛おしく魅力的なものとして描いていることが大きい。
三ヶ月のブランクなどなかったかのように、前半描写された『少年ハリウッドの日常』での何気ない会話は、とにかくキレまくっていた。
凄くありそうで、でもこんな瑞々しい形では切り取れない思春期の会話が、何気ないダイアログにみっしり詰まっている、少ハリの強み。
それを三ヶ月ぶりに浴びせかけられるのは、とんでもなく幸福な体験でした。
同じアイドルアニメのアイカツ! が『よく調整されたファンタジー』だとすれば、少ハリは『よく調整されたリアル』なんだろうなぁ。


舞台裏があれば表舞台があるわけで、その分水嶺がシャチョウの登場というのも、作品のルールを堅持した展開。
常に正解を口にし、少年たちを導き鍛え上げてきた元少年の登場で、お話はアクターの顔になっていくスイッチを入れます。
ゆるーい空気だった前半からステージに向けて緊張感が高まり、楽屋での真剣な顔から円陣という流れは、現実のステージアクターにカメラを据えたような緩急があって素晴らしかった。
二期でもあまりにシャチョウが物語的に頼りになりすぎて、こんなに安心しちゃっていいのかしらと思うくらい安心したね、あのシーン。

お客さんも増えてきて、自分たちの仕事に誇りも持てて、メンバーともスタッフとも仲良く楽しくやれている。
今回見せられたのは、一期の下準備がしっかりと報われた、幸せな光景でした。
アクティングも切れ味鋭く、観客のリアクションも上々(と感じられるように画面を作ってくれる辺り、マジスタッフ凄いし信頼できる)
ステージに上るまでのお話なら此処がエンドマークなんでしょうが、競争を煽りメンバーに課題を与える社長の言動は、『少ハリはその先、ある程度売れた後の話まで触るよ』という牽制だったように思います。
『舞台に立つこと』への峻厳さに関しては、恐らくアイドルアニメでも一二を争うであろう少ハリが触らないわけない部分ですし、このアニメなら真剣に、楽しく扱ってくれると思います。
苦い要素を苦いまま、美味しく調整して飲ませてくれる創作物ってのは良いもんです。


今回は一期一話と対になるようなシーンセットが多く、準備段階だった一期と、動き出し輝きだした二期の違いが明瞭に見えてくる作りでした。
劇場の埃は払われ、練習場所でしかなかったステージは観客を前にして輝き、恥ずかしいことを恥ずかしくやっていた少年たちは、自信いっぱいに自己紹介をやり切るアクターに成長した。
初代がDVDの中で見せているだけだったダンスのキレも、自分たちのものとして観客を喜ばせていました。

同時に観客席には空席もあり、ビラを配っても「かっこいいん『だけど』ね~」と言われてしまう少年ハリウッドの現状も、手抜きせずしっかり映されていました。
一期の『何者でもない少年たちが、ステージに上る資格を得、少年ハリウッドになるまで』の物語から、二期で扱う『その先』のお話に至るまでの中間点として、この第14話はあるんだと思います。
具体的に何が起こるか、彼らが歩く道が上り坂なのか下り坂なのかは、さっぱり読めませんが。
いやね、お話のルーチーンみたいのを綺麗に外してくるタイミングがあるからね、このアニメ。

出会い、分かり合い、別れていく人生のサイクルがアイドルにも当てはまるのであれば、二代目少年ハリウッドにも坂を登り、下るお話が待っている。
だとすれば、既にその道を一度歩き、各々の人生に歩き出した初代少年ハリウッドが一期以上にフューチャーされているのも、納得の行く演出です。
二期は初代に更に踏み込みそうな気配あるので、そこら辺も楽しみです。


二代目少年ハリウッドは、今まで何をしてきて、現在何を手に入れていて、これから先どうなっていくのか。
『未来は全然わからない』ということまで引っ括めてしっかりと視聴者に報告してくれた、素敵な2クール目開始だったと思います。
ほんまええアニメやで……。